さすらえど
 
しばらくこんな感じで
 

AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する


ハチマキで思うこと

「ハチマキ」
いきなりがだ、私は、日本人が提案できる最後日本的文化ファッションでないかと思うわけだ。

フンドシもあるが、これはチャックがついたとして使いたくない。
ほか、サラシ、タスキなどもあるが、実用的でないので、却下しとく(タスキは使い道あるか?)。

ハチマキそのものの歴史は長いが、今ではほとんど使われない。
普通にハチマキして道を歩いている人もほとんど観ない。
もしかして、皆、家で巻いているのだろうか?そんなことないと思うけど。

さて、
ハチマキとしては、どういう潜在的な価値があるのだろうか
今までの価値として以下のことが思い当たる。
 1.鉢金をつけた防具として
 2.薬を投薬する方法。
 3.運動会の色分け。
 4.できそうもないことをやるときに気合をいれるパフォーマンス

1の使い方はもう既に日本には必要のないことだが、帽子が紫外線を守ったりすることにも使えるように紫外線対策の健康グッズとして使えないことはない。
ただし、そこの部分だけが、日焼けしないという惨事になるが。
2は、もうほとんど使われない。頭すっきりシートなどの商品があるが、あれをつけて歩いている人はいない。
3に関しても、別に帽子でもよくってハチマキである必要性はない。が、ファッション的に、まあ、ハチマキが優れている唯一のものかも。

問題は4だ。
これがハチマキのイメージを悪くしている。
受験でも、本当の天才はハチマキをしなくてもよいというイメージがあって、ギリギリやばい人がハチマキを締める(実際はどうかは知らない)。
そのせいか逆にハチマキのイメージは客観的にみて知能指数を下げる効果があるようにも見える。(たとえば、ハチマキに「必勝」と文字を書くだけで、知能指数は10ぐらいマイナスになる。「肉」なら-25か?)
パフォーマンスが直線的であればあるほど、その決意は他人に理解できないものなのだ。

人は本当に怒ったときは「怒ったぞー」とはいわない。(もう本気で怒ったぞーも同じ)
人は本当に嫌いになったときには「あんたなんか嫌い」とは直接本人にはいわない。

結局そういう表現は、そこに何か余裕が感じられるわけだ。感情を言葉に変換している余裕。これが第三者からみて、覚悟が定まってないように見える。
ハチマキしてて「さあ、やるぞ」という自分を再確認している余裕がすでに、一歩引いていると感じる。

なんといえばいいか、本気で気合がはいっているときは、自分で気合がはいっているか、再確認する余裕がない(確認する必要がない)のでないかという感じだ。
(アニメやドラマのキャラはよく自分の状況を再確認するセリフをはくが(「絶対ゆるさないんだから~」とか)、そういうのはリアルで考えればウソ臭いともいえる。ただ、状況を視聴者に伝えるために必要な演出ともいえるので容認する)

さて、頭の悪く見えるグッズである「ハチマキ」であるが、そのマイナス面をプラスに転換すれば、また新たな使い道があるのでないかといえる。
黒いサングラスだって、頭を悪くみせるグッズの一つだが、市民権を得ている。

なので、

あ、いやごめん。オチ、思いつかないや。ゴメン。ここで終了。この先の論理展開は各自におまかせします。

ではでは。



7月20日(金)19:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 雑記 | 管理

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